本の中にある
宝物の一文
- 4P
それらはそれまでの人生において直面した仕事上の課題や困難、家族・仲間との交流を通して培われるものだろうが、私の場合はとくに読書から多くの力を得てきた。
- 129P
論理的にものを考えるための訓練は読書以外にはない、と私は信じている。
- 134P 135P
しかし、この想像力を広げる唯一にして最大の方法が読書だと思う。
- 80P
私たちは自分の時間の大部分を、最も重要だと本当に思っていることに費やしてはいないのだ。
- 212P
「あなたの余命はあと1年です」そのとき、あなたは何をする?
- 276P
確実なものしか望まなければ、達成できるのは小さいことや些細なことばかりになってしまう点だ。
- 113P
人を得たからこそ今日のニッカがあったといえよう。
- 138P
日本で初めてモルトウィスキーをつくって売り出したころ、こんなにこげくさいものが飲めるか、と嫌われていたのが昨日のことのようである。
- 25P
物理的な作業条件や報酬より、集団の雰囲気の中での人々の気持ちが大切だということがわかったのである
- 36P
企業の目的として所有者の利益の最大化ではなく、労働者が共感できる目的を設定すれば、労働者の貢献意欲が高まり、労働の価値は高まる。
- 82P
多くの人々が些細だと思われることまで懸命にするという精神が大切なのだ。
- 0P
最も辛いことを貫けるかどうか、それが自分に課した最大の課題だったのです。
- 69P
なにげなく目にする言葉が、その人の生涯に意外に大きな影響を及ぼす場合がある。
- 306P
「よい仕事は安心して働ける環境から生まれる」
- 5P
人間には4つのタイプしかいない。
- 168P
社会全体が苦境のときは次への投資のチャンスであるにもかかわらず、その時期には銀行は資金供給者ではなく資金の回収役に回る。
- 179P
一番大切だったことは、常に企業を前に進む状況にしておくことだった。
- 49P
一九九〇年代にフォードで欠陥車事件が起きたとき、ビジネススクール出身の経営陣は、犠牲者に対する保障料と欠陥車を改造する費用のどちらが安いか天秤にかけたといいます。
- 156P
成功するためのポイントは「小さなマーケットにおいて大きなシェアをとること」に尽きます。
- 182P 183P
今、私たちはもう一度、何が幸せであり何を人生の目標にすべきか、考え直す時期に来ているのではないでしょうか?
- 279P
もともと「武士道」は外国人の目から見た日本の伝統精神と価値観に対する疑問に答える趣旨で書かれている。
- 318P
強い個をもって弱者の救済のために献身するというのがほんとうのGentlemanというものであることを、彼らは、クラーク博士が奴隷解放の為に南北戦争に出征した体験談から学んだ。
- 13P
すべて良書を読むということは、著者である過去の世紀の一流の人びとと親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、かれらの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念な準備のなされたものだ。
- 95P
最初は容易なことから探求し始めて、少しずつ段階を経て、ほかのもっと困難なことがらに移っていくことによって得られる習慣は、わたしの教示すべてよりも彼らの役に立つだろう。
- 71P
開拓使があらかじめ用意した校則は二二ヵ条にもわたっていたが、クラークは、こまごました規則で生徒たちをしばっては人間をつくることはできないとして、これを退け、「ビー・ジェントルマン(紳士たれ)」の一語で足りると言って、生徒自身の自覚と責任を求める方針をとった。
- 107P
それはあまりに大胆すぎるかもしれないが、よく考えてみると、人生は結局のところ、思い切って冒険を試みる以外にないのです。
- 45P
西欧における市民革命が旧支配階層を粛正するような形で新たな体制を築き上げたのに比較して、明治維新は旧支配階層であった士族階級を無血のまま制度的に廃止しただけではなく、彼らを産業資本の担い手に変換させるという独創的な制度改革を実現している。
- 257P
理研の発明は理研自身が工業化し、事業化し、しかもその後も絶えずその工業の生産費低下の研究、発明を指導しなければ、新興産業として世界を相手に雄飛することはできないのである。
- 279P
人間しか資源のない日本が知識への投資を怠れば、その未来は暗い。
- 154P
マクドナルドの従業員がそれぞれの仕事のために教育を受けているのに、それよりはるかに複雑な仕事をする人たちが教育を受けないのはおかしい。
- 173P
会社の立ち上げ時期には、1日に8から10のプロジェクトを処理できなければ、会社は止まってしまう。
- 288P
もっとも困難な決断は知性より勇気を必要とした。
- 46P
人の行動を見て、その善いところ、悪いところを見分け、それを鏡に自らを戒めるように努めねば、立派なものにはなれないぞ。
- 58P
生き延びてこそ、志は立つ。
- 92P
蓄財に興味がない新平にとって、金銭は何かを実現するための手段であり、生きる目的にはならなかった。
- 7P
マニュアル通りにしか動けない自分たちに疑問を感じなくなっていた。
- 44P
物事をよくわきまえた人の交際は水のようだ。つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒のように甘く、ベタベタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招きやすいものだ。
- 161P
しがらみから解き放たれた「達観」が経営を動かしていく。
- 5P
量販店で少しでも値引きが大きい商品はないかと探している顧客よりも、新しいiPadが出た時に行列をして買っているお客の方が、嬉しそうに見える。
- 44P
オープン化や標準化によって、効率的なものづくりを目指せば目指すほど、価値づくりから遠ざかるというパラドックスである。
- 154P
意味的価値は多くの場合には暗黙的なので、企業が形にして顧客に見せるまでは、顧客はそれが本当に欲しかったものであることに気づかない。
- 45P
環境からの「チャレンジ」に「レスポンス」できたものだけが進化できる。
- 153P
イノベーションは「動きながら考え抜く」ことで芽生える。
- 205P
経験から生まれた知は必ず何かと結びつき、大きく成長するという特性を潜在的に持っています。
- 16P
ローマはこれらの地方とそこに住む諸民族を、単にその「支配」の下においただけでなく、それを一つの交易圏にまとめ上げ、長い年月の間に、当初はローマ人が非ローマ人に対して樹立した「支配」であったものを、人種的・血液的にはローマ人ではない「すべての人びと」を、法的にローマ人として同化する政策へと高め、こんにち我われが「地中海世界」と呼ぶ一つの歴史的な「世界」をつくり出したのであった。
- 166P
人間は一人では生きてゆけないと悟った時が、人間の歴史の始まりであったといってよい。
- 92P
JALでも稲盛は役員・社員の心を育てることに、膨大な時間を費やした。
- 92・93P
日本以外の多くの国では、起業家が成功すれば「あの人はなぜうまくいったのか」と学ぼうとする。
- 25P
だいたいの本は、著者が地を這うような努力と投資をして、身につけたものを書いている。
- 46P
本は私たちにとって無限といっていいほどあるし、お金も時間も空間(置き場所)も有限であることから、本の買い方が重要となる。
- 73P
ビジネスで一角の人物になろうと思っている人は、ぜひ書斎を持つべきである。
- 7P
自らを高く持し、何者にも媚びず、頼らず、何者にも恐れず、独立自尊で歩んだ。
- 170・171P
第二に、顔色容貌を快活にせよという。
- 2P
そうした試行錯誤の繰り返しで、自分ならではのオリジナリティのある知識ができあがり、マネジメントの技も磨かれていくのだと思います。
- 71P
危機とは、エクセレント・カンパニーと平凡な会社とを選り分ける「ふるい」のような存在かもしれません。
- 166P
「企業というものは、言葉ひとつ、スローガンひとつでここまで活性化するものなのか」というのが正直な感想でした。
- 49P
そしてわかったのは、会社はやはり最後は人だということだ。
- 157P
強いリーダーシップは豊富な実地経験がなければ出てこない。
- 188P
完ぺき主義、満点主義からは何も生み出せない。
- 86P
彼らは何度となく、見ず知らずの人を信頼しなくてはならない状況に置かれた。
- 163P
ノイスは、「馬鹿げた問題」を解決しようとするなかから、集積回路の着想を得た。
- 185P
オーナー企業では、気まぐれや独断による経営が珍しくない。
- 3P
産声をあげたばかりの企業が信頼を集めるには、伝説的な人物を招くのが何よりの特効薬だ。
- 196P
「成功のぬるま湯」に浸っていたいという誘惑には、まずもって逆らえない。
- 47P
安全と安心を追求するならば、人々はその前提条件として変化・冒険・困難さを正面から受け入れなければならない。
- 67P
それゆえに、偶然という名の出会いをつかみとれるまでの過去10年間が、独立開業型のベンチャーにとって創業への道といえるかもしれない。
- 231P
人生は企業家精神によってどこまでも輝き、イノベーションへと人を導いてくれるはずだ。
- 221P
いわば「合理性の破れ」にこそ事業の拡大をもたらす隠れた鍵がある。
- 224P
裏を返せば、世にいうリストラがあったり大企業が傾くときは、既存生産手段組み替えのチャンスともいえる。
- 103P
デザインを評価するモデル審査会では、おじいさん世代の役員にダメ出しされて、若いデザイナーは意気消沈といったありさまであった。
- 218
私に言わせれば、どんな先見の明も、すべて後講釈と言いますか、後付けにすぎません。
- 315
僕の人生経験からすると案外ね、後継者というのは育っていないように見えて育っているものです。
- 26P
ロケット開発にはさまざまな分野の専門家の参画が必要であって、管理者は「最大限の権限移譲」を追求しなければならない。
- 56・57P
失敗はしばしば成功よりも多くを彼らに教えたのであり、歴史家のマイケル・ニューフェルドはそれを「成功した失敗」と呼んでいる。
- 74P
NASAは変なところで、十七年間いたが誰かが組織から表彰されたという話は聞いたことがない・・・賞は、いい仕事を与えられることだった。
- 28P
たとえば中東の石油利権など、英国の在外資産のもっとも重要な部分を第二次大戦中、アメリカ企業が二束三文で買い叩いていった光景こそが、「バトル・オブ・ブリテン」から「ノルマンディー」へ至るあの期間の、「真の世界史」の光景であったといえるかもしれない。
- 209P
この経過を通じ印象的なことは、アメリカの「大英帝国解体」の意志がすさまじいほどの迫力と戦略性をもったものであったということである。
- 83P
贅沢は人を毒し、ついにこれを精神的に殺すからであります。
- 84P
わがままなる主人の小言は、主人の不徳不信となり、かえって言わないほうがよいこととなるのであります。
- 80P
一所懸命にやった仕事が失敗に終わった場合は、慰めてもらい、いたわってもらいたいのであります。
- 175P
自分のこれまでの企業経験によれば「確実有利なる事業」すらも成功させることは容易ではなく、少しでも不安な事業は十中八、九は失敗する、調子のいいときは、確実な事業計画のみにとどまらず、勢いに乗じて不安の事業に対しても着手することが常である。
- 287・288P
栄一の会社評価の際立った特徴は、すべての会社について、そのトップマネジメントの人物、能力評価を軸に据えていることである。
- 327・328P
取引が、「1回こっきりのゲーム」ではなく、「繰り返しゲーム」として成立するためには、売り手、買い手双方の信用が重要となる。
- 17P
経済学の九五%は複雑にされただけの常識であり、残りの五%にしても、その基本となる考えかたは平易な言葉で説明できる。
- 228P
わたしたちは市場任せにできるほど利口ではない(中略)したがってわたしたちは、立ち向かわなければならない問題の複雑さを減じるために、意図的に選択の自由を制限する必要があり、通常はそうしている。
- 286P
それは、あの悪名高き南アフリカのアパルトヘイト体制でさえ、日本人を“名誉白人”に指定しなければならなかったという事実だ。
- 68P・69P
そもそも飛び抜けた独創性を有する人材というのは、初めから発想なり考え方の枠組みが違う人が多いから、育成というプロセスからは生まれる可能性は少ない。
- 232P
創造性こそは個人の持つ可能性の最たるものではないだろうか。
- 261P
お金をさほどかけずに人生を楽しむ世界やコツを模索すれば、そしてそれにより多くの時間を使うようになれば、年平均所得が減少しても引き続き豊かな人生を送ることができる。
- 110P
多くの企業が利益をアナリスト予想に合わせるようにプレッシャーを受けている。
- 180P
資本配分において、活動的であることが結果に結びつくわけではない。
- 236P
取締役会の主な仕事は、適切な人材が事業を経営しているかどうかを確認すること、そして次世代のリーダーを特定し、明日にでも引き継げるようにすることである。
- 9P
スティーブがまもなくアップルを去ってしまい、戻ってきたときには、もうソニーに盛田氏がいなかった。
- 357P
ソニーにとって、市場はサーベイ(調査)の対象じゃないんだ。
- 482P
常識にとらわれていたら、イノベーションなんて起こせない。
- 106P
人間たちがお互いに不正を加えたり受けたりし合って、その両方を経験してみると、一方を避け他方を得るだけの力のない連中は、不正を加えることも受けることもないようにお互いに契約を結んでおくのが、得策であると考えるようになる。
- 332P
美しい営みは徳の獲得へと導き、醜い営みは悪徳の獲得へと導くのではないかね。
- 380P
何しろ自分だけの所有物というのは身体一つだけで、その他のものはみな共有なのだからね。
- 123P
支配者の地位につく者は、けっして支配権力を恋いこがれるような者であってはならないのだ。
- 170P
むしろ大きな苦労、たくさんの苦労はすべて、若者たちにこそふさわしいのだ。
- 509P
国づくりの中心は、国の守護者・統治者の人づくりにある。
- 18P
「存在」は最も一般的な、同時に最も空しい概念である、といわれています。
- 233P
欠如と無関心の様相こそ、日常的な平均的な相互存在を特徴づけています。
- 237P
最も身近に本質的に自分を知るためには、自分と知り合いになることを要するのです。
- 92P
好奇心はそれゆえまた、観察的な滞留という余暇を求めるのではなくて、つねに新しいものや出会うものの交替による、動揺と興奮を求めています。
- 201P
日常性とはまさに、誕生と死亡の「あいだ」の存在です。
- 223P
人間は生まれたトタンに、死んでもおかしくないほど年をとってるのさ。
- 72P
本来的な現在を、わたしたちは瞬間(瞬視)と名づけます。
- 77P
気分は「心の状態」の全体を「彩る」ところの、サッと飛び去る体験だ、とされています。
- 155P
死への本来的な存在すなわち時間性の有限性は、現存在の歴史性の隠れた根拠なのです。
- 21P
すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。
- 25P
だから、エジプトあたりに最初に数学的諸技術がおこったのである、というのは、そこではその祭司階級のあいだに暇な生活をする余裕が恵まれていたからである。
- 156P
労苦は幸福の原因であり、幸福はまた労苦の原因である。
- 112P
そうある者が、しかしそれまで常にそうあったのではない者が、そう成るのである。
- 139P
事物の生成するのは、(a)技術によってか、(b)自然によってか、(c)隅運によってか、(d)自己偶発によって。
アリストテレスによると、一般に誰でも、なにを探しているのか知らないでただ探すということはなく、なにものかを探している人は一応そのなにものかを知っていなくてはならないように、研究者はその研究に先だってその研究対象をなんらかの仕方で知っており、その研究対象が研究者にとってなんらか自明的な存在であり、対象として客観的に与えられていなくてはならなかった。
- 200P
自発性があるからこそ、私は自分自身を知性者と称するのである。
- 204P
感性的直観における多様なものを結合するところのものは即ち構想力である。
- 264P
一切の変化は原因と結果とを結合する法則に従って生起する。
- 260P
絶対に必然的な存在者の概念は、もともと勝手に作られあとから一般に通用するようになったものである。
- 262P
矛盾こそ不可能の唯一の漂徴である。
要するに人間の認識はすべて直観をもって始まり、直観から概念にいたり、理念をもって終わるのである。
- 49P
心意の純粋は、しばしば事柄自身の善良さと逆比例する場合がある。
- 51P
自然状態は不法と暴力行為との支配する状態であるから、我々は必然的にかかる状態を捨て去って、法律による強制に従わねばならない、この法的強制のみが我々の自由に制限を加えて、これを他者の自由と、従ってまた公共の福祉とに一致、調和せしめ得るのである。
- 138P
学問の道は、いったん開かれると決して雑草に埋もれることのない、また行人を迷わすことのない唯一の道である。
- 50P
私はあなたの視覚を、私の視覚によって、あなたの聴覚を私の聴覚によって、あなたの理性を私の理性によって、あなたの憤慨を私の憤慨によって、あなたの愛情を私の愛情によって、判断する。
- 97P
憎悪と怒りは、善良な精神の幸福にとって、最大の毒である。
- 430P
人間本性の構造によって、苦悩はけっして永遠のものではありえない。
- 20P
病気による衰弱と老齢による疲労のなかでは、地位によるむだでむなしい諸差別の諸快楽は消えうせる。
- 53P
人が、ふつうに着られているものとまったくちがった、ひと揃いの衣服を着て、公共のまえにあらわれるとすれば、その新しい衣裳が、たとえそれ自体ではいかに品位がありまたは便利であろうとも、かれは滑稽なものであるだろう。
- 205P
自分があたいするよりもずっと高く、自分を考えている人にとって、他の人びとがいっそう高く自分を考えてくれるようにと望むのは、これ以上自然なことはない。
- 143P
自己に信頼を持たぬが故に、隣人に恩を売って、自己を飾ろうとする。
- 151P
なんじは向上しゆく者である故に、友人がなんじについて持っている判断をしばしば裏切るし、また、友人と共に停滞することをしない。これらのことは皆からの怨恨を買うのである。
- 353P
未来を育成する力に富んだ教説は、それを説く人すら知らぬ間に、力強い結果を生むものだ。
- 55P
現代の女性が男性化したのは、男らしい男がいないからだ。
- 137P
生きるとは、みずからを焚き、しかも暖まらぬことである。
- 243P
他人の判断に従って賢者となるよりも、むしろ、みずからの拳によって愚人たれ。
- 41P
大名自身は外界の様子を全く知らずに育ち、政治の糸は、自分の才覚で役職を得た下っ端の役人どもの、目に見えない手であやつられた。
- 159P
薩摩人にせよ、長州人にせよ、われわれの行為に対して何ら恨みをいだく様子もなく、そのころから引き続いて生じた擾乱と革命の幾年月の間、常に、われわれの最も親しい盟友であったという事実は、少なからず注目に値する。
- 197P
私の提案なるものは、大君を本来の地位に引き下げて、これを大領主の一人となし、天皇を元首とする諸大名の連合体が大君に代わって支配勢力となるべきである、というのであった。
- 76P
私は、内政問題に関し諸大名の意見が互いに一致していないのだから、何らかの形で戦争が行なわれなければ問題は解決できるとは思われね、二、三十年も戦乱がつづいて、日本が著しく疲弊するとなると、諸外国はその機会に乗じていずれかの一派を援助して他派に対抗し、しまいに日本領土の一部をわが物とするに至るだろう、しかし外国と戦争するとなると京都が攻撃の的になるから、その結果はかえって国内の抗争を和解に導くことになる、かくして平和が到来し、はじめて諸外国は天皇と条約を結ぶことが可能になり、それによって大君の憲法上の立場も明確になるであろうと述べた。
- 143P
こうして、徳川八百万石の領地のうち約七百万石が実際に天皇の領地になったのであるが、もしも徳川があの時服従していたら、残余の所領を保有し、とにかく平穏にやって行けるはずであった。
- 253P
勝は紀州屋敷の離れ家に住んでいたが、その屋敷にはまた、これまで大名屋敷の間を流れる情報や文書をわれわれに取り次いでくれていた紀州の家臣竹内老人も住まっていた。