推薦図書紹介
江戸時代初期に起こった日本史上、最大規模の一揆である島原の乱を描いた小説。生存が不可能なほど領民から年貢を取り立てた松倉家に対し、無抵抗を貫いてきた旧キリシタンが、どのように蜂起に至ったかが描かれる。
- 316P
「背後に雲仙獄をひかえる南目の住民は、はるか遠い昔の噴火の記憶を有していた。人々の心の奥底には、人間の意志や力などを一呑みにする凶暴な火の記憶が常に潜んでいた。キリシタン宗がとりわけ南目で易々と受け入れられ、しかも根強く残り続けた背景には、言葉によって歴史が記述されるはるか以前の恐怖の記憶が手伝っていた。(中略)
秀吉も、あるいは家康も、人民の思想統制としてのキリシタン禁令を意図したが、こと南目におけるキリシトの言葉は、単なる思想や知識以前の、そこに常にある自然の脅威を背景に、現実のこととして受け取られた。」 - 589P
「加奈が、年貢軽減の願いをするために島原城下へ向かったのが昨日のようだった。首謀者のひとりとして土中に埋められ、次々と竹のこぎりで首をひかれていく恐怖に、加奈は正気を失った。思えばわずか十七年の生だった。(中略)
蜂起に加わり松倉勢と戦う日々を迎えてから、監物の心にはやっと加奈との和解が果たされたという思いがあった。監物の首には加奈の形見となったクルスがかけられ、加奈のロザリオも不自由な左足首に巻き付けられていた。(中略) 思えば、生は死から現れ、死へと戻っていく。そのわずかな間に見る夢のようなものだ。籠城する他の者たちが何を願おうとも、監物は死後の王国など望んではいなかった。」 - 679P
「鬼塚監物が発起の終焉を見たのは、実は二十七日の朝だった。空腹に耐えかねた蜂起勢が、やっと上がった雨に朝早くから東南の海岸に降りて貝や海草を始め糧となるものを採ることを始めた。(中略) それぞれが空腹に任せ、自制を失って勝手に海草や貝をあさることは一度もなかった。(中略) 蜂起勢の四分の一に当たる者たちが、飢えに負け他と争うようにして糧をあさる光景には、これまでの四ヶ月に及ぶ戦いの意義を根底から覆すものとして監物には映った。」