推薦図書紹介
2000年代前半、「鈴木宗男事件」に連座し、当時、外務省・国際情報局主任分析官だった著者は、背任容疑で逮捕後、512日間勾留された。本著はその間の獄中ノートをまとめたもの。同事件に連座し逮捕された政財界の要人の中には、「内面から崩れてしまった」人間もいるなか、著者は崩れず国家権力と個人で闘争し続けた。著者の内面にあるものとは何か。
- 123P
情報の仕事は、結局、人間対人間の真剣勝負なので、日々緊張の連続です。情報の世界では信頼、友情が最高の価値で、この信頼、友情はそれぞれの情報機関員の公の立場を超えたところでも存在するからです。人間性の勝負であるこの世界には独特の魅力があります。また、情報機関は、いかなる対価を払っても、機関員を守ります。残念ながら日本の外務省には、国際スタンダードでの情報(インテリジェンス)文化が存在しないことが、私を巡る事件で明らかになりました。
- 207P
私のインテグリティが崩れないのは、そもそも私の『視座』が『複眼的』だからだと思うのです。このことについては獄中生活をするなかで初めて気付きました。この『複眼性』が検察の目からすると私が『変わり者』に見えるところなのでしょう。
私自身が常に心がけているのは、
(一)よきクリスチャンでありたい
(二)よき官僚でありたい
(三)よき知識人でありたい
ということです。現在、私を支持してくれる人たちも、神学部出身者・牧師、外務省の仕事で知り合った人々、学者仲間の三つのグループより構成されているのも、私の行動原理に対応しているのだと思います。
この三つの行動原理に対応する価値観は、
(一)神に対して誠実でありたい。
(二)日本国家(国益)に対して誠実でありたい。
(三)知に対して誠実でありたい。
ということなのです。 - 288P
かし、今回の獄中生活を通じて、理不尽な状況を理解するために、いかに旧約聖書に書かれているユダヤ人の知恵が役に立つかということを実感しました。表面上は『理不尽な目にあっても抗議しない。背中を丸めて嵐が過ぎるのを待ち、雷を引きつけないように死人のようになって動かない』ように見えるユダヤ人の行動様式の中に独特な思惟回路があるのだということに気付きました。(中略)
もう少し具体的な説明を試みると、言葉の死活的重要性に関するユダヤ教の理解が重要です。質的に絶対に異なる神と人間をつなぐ唯一の手段が言葉、そして神の言葉を記した聖書です。そして、この言葉からどれだけ深く言葉の意味を解釈するかということが、人間にとって最重要課題となるわけです。ここから神の言葉を正しく理解するように努め、また自分の発する言葉に対して責任を負うという倫理が出てきます。
私が日本の政治家、外交官に対して何を物足りなく感じているかがわかってきました。自らの発した言葉に対して責任を負わない人が多すぎるのです。