推薦図書紹介
著者は、研究者として人民解放軍の分析を長年にわたり継続してきた。題名に「軍拡」とあるが、人民解放軍の軍事力の分析は、本著の終章のみで、政治・文化を含む中国現代史が議論の中心。今の中国を包括的に捉えられる。特に、現代の中国共産党の「生まれと育ち」を押さえた内容になっているため、同党がなぜ現状のような行動を取るのかが理解できる。
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中国を訪れる外国人観光客の多くは、北京の紫禁城や万里の長城などをみて、中国は偉大な文明を誇る国だと感嘆するに違いない。しかし、そうした巨大建造物は、実は極端なまでの富の偏在を象徴しており、その裏側では数十万、数百万の民衆が餓死するという凄惨な飢饉が高い頻度で繰り返し発生していた。飢餓への恐怖は、民衆の一部を略奪集団、すなわち匪賊へと変貌させ、中国全土で匪賊集団が自己の生存のために他の民衆を襲い、王朝に対して牙を剥いた。
そうした環境下で、民間社会は自治と自営の伝統を育み、人々は自分たちの知恵と才覚と腕力を以て自分たちの面倒をみていた。国家権力に依存せず、期待せず、場合によっては服従もしないという中国の民間社会に見出すことができる逞しさ、自立性、抜け目のなさは、永きに及んだ国家権力と民間社会との疎遠な関係によって育まれたものといえよう。 - 163P
鄧小平は、一九八七年に党と軍の長老たちに引退を促す一環として自身も共産党中央委員会の委員という地位を放棄し、平党員となったが、中央軍事委員会の主席という肩書きは放棄しなかった。これにより、制度上は平党員に過ぎない人物が解放軍を牛耳り、実質的に党を運営するという構図が出現した。こうした鄧小平の振る舞いは、中国における統治者の権力および権威というものが、解放軍の掌握に由来するものであることを再確認させてくれる。
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江沢民は、胡輝邦や趙紫陽と違って『民主化』要求に対して腰砕けになることなく、上海市においてそれをうまく押さえ込んだ。鄧小平はその点を頼もしく感じたに違いない。(中略)
しかし、いかんせんこの元エンジニアには行政経験が不足していた。党中央の人脈も決して豊かではなかった。(中略) そんな人物にどうやって十億を超える民、三千万を超える党員、三百万を超える軍人を束ねさせるのか。
鄧小平の回答は、権力と権威の個人への集中であった。鄧小平は、党総書記、国家主席、党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席といった重要ポストを江沢民に兼任させるという手を打つ。毛沢東の個人独裁がもたらした悪弊を克服するべく集団指導体制にこだわった鄧小平が一個人に大きな権力が集中する仕組みを生み出すにいたったことは、歴史の皮肉といわざるをえないが、これが共産党の生き残りを図るために鄧小平がたどり着いた答えであった。