推薦図書紹介

■夜と霧 著者 ヴィクトール・E・フランクル
ISBN978-4-622-03970-9
紹介者:工藤秀雄(西南学院大学商学部教授)
【紹介文】
第二次世界大戦中の1942年、ウイーンで精神科医だった著者はナチスにより強制収容所に収容された。初版は1947年に出版され、600万部を超える世界的ロングセラーとなる。収容所のなかで「生きていることにもうなんにも期待がもてない」人に対し、著者は、「生きることから降りられない」ことを伝えることに成功した。その気づき、意識とは何か。
  • 54P

    収容所暮らしが長い被収容者のこうした非情さは、いかに生きのびるかというぎりぎり最低限の関心事に役立たないことはいっさいどうでもいい、という感情のあらわれだ。被収容者は、生きしのぐこと以外をとてつもない贅沢とするしかなかった。あらゆる精神的な問題は影をひそめ、あらゆる高次の関心は引っ込んだ。文化の冬眠が収容所を支配した。
     さもありなんというこうした現象にも、ふたつだけ例外があった。ひとつは政治への関心。これは理解できる。もうひとつは、意外なことに、宗教への関心だ。

  • 58P

    強制収容所へ入れられた人間は、その外見だけでなく、内面生活も未熟な段階にひきずり下ろされたが、ほんのひとにぎりではあるにせよ、内面的に深まる人びともいた。もともと精神的な生活をいとなんでいた感受性の強い人びとが、その感じやすさとはうらはらに、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神的にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。そうした人びとには、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた。繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。

  • 110P

    感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ『わたし』を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつ見受けられた。一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあったのだ。
     強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで通りすがりに思いやりの言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとについて、いくらでも語れるのではないだろうか。そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。