推薦図書紹介

■それでも人生にイエスという 著者 ヴィクトール・E・フランクル
ISBN4-393-36360-4
紹介者:工藤秀雄(西南学院大学商学部教授)
【紹介文】
ナチス支配下の強制収容所を生き延びた精神科医の著者は、1946年に「生きる意味と価値」について講演を行った。本著はその講演をまとめたもの。『夜と霧』が強制収容所で著者がみた現実そのものだとすると、本著はその体験を、思想や哲学に高めた書籍。
  • 26P

    あるとき、生きることに疲れた二人の人が、たまたま同時に、私の前に座っていました。それは男性と女性でした。二人は、声をそろえていいました、自分の人生には意味がない、『人生にもうなにも期待できないから』。二人のいうことはある意味では正しかったのです。けれれども、すぐに、二人のほうは期待するものがなにもなくても、二人を待っているものがあることがわかりました。その男性を待っていたのは、未完のままになっている学問上の著作です。その女性を待っていたのは、子どもです。(中略)
     ここでまたおわかりいただけたでしょう。私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、『人生の問い』に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。

  • 128P

    つまり、人間は、強制収容所にいるからといって、心の中も、分裂病気質の『典型的な収容所囚人』になってしまうように、外から強制されているわけではけっしてないのです。人間には、自由があります。自分の運命に、自分の環境に自分なりの態度をとるという人間としての自由があるのです。(中略)
     仮にほかのすべてのものは取りあげることができても、そして事実はほかのすべてのものは取り上げても、内面的な能力、人間としてのほんとうの自由は、囚人からも取りあげることができなかったのです。その自由は残っていたのです。

  • 133P

    ニーチェの言葉を思い出すと、かつて彼は『生きることに内容、つまり理由がある人は、ほとんどどのような状態にも耐えることができる』といいました。理由というのは生活内容つまり生きがいのことであり、状態というのは生活状況のことですが、収容所の生活は、まさに理由、目的を見失わずにいるのでなければそもそも耐えられないほど困難な状況だったのです。
     ですから、収容所で人間がもちこたえることができるようにするには、本質的には心の治療しかなかったわけですが、そうした心の治療は、ある特殊な目的に限定されていたのです。つまり、そうした心の治療は、生き延びようという意志を奮いおこしてほしい人に、そもそもとにかくまず、生き延びることが義務であり、生き延びることに意味があることを示すように努めなければならなかったのです。それだけではありません。収容所での心の医者の任務は、(中略) 生き延びることができるとはほとんど考えられないような人たちを相手にしているという点でいっそう困難なものでした。そういう人たちに、なにをいったらいいのでしょうか。しかしそういう人たちにこそ、なにかをいわなければならないのです。